【悲報】今年の京都大学の学祭のテーマが限界すぎると話題にwww

こんばんは。

こんなタイトルですがアフィリエイトは一つもついていません。

 

思ったよりすぐの更新になりました。

一晩徹夜して睡眠リズムを無理矢理にでも朝型に戻そうと思ったのですが、予想以上にやることがなくてすぐ眠くなってしまったので、何か書いて気を紛らわすことにしました。

今回の話題は、昨日の昼頃ちょっと話題になっていた京都大学の学祭のテーマです。

 

 

今年のテーマは長いですね。

このブログのタイトルもオタク構文から成っているので、非常に親近感がわきます。

そしてその一方で、周りの空気が読めないオタクが調子に乗ってつけてしまった感じが全面に出ていて、巨大なスクリーンに映った自分の顔を見ているような恥ずかしさがあります。

 

毎年いつの間にか行われている選挙でいつの間にか決まっている学祭のテーマですが、確か去年も一昨年も決まった後でタコ殴りにされていたような気がします。

奇人・変人を気取りたがるのは京都大学の学生にしばしば見られる悲しい傾向だと思うのですが、さすがに今回のこのテーマは京都大学在学中のみなさんにも受け容れがたかったようで、ツイッターでは怨嗟と嘆きの声が多く観測されました。来年はもう少し無難なテーマになるかもしれません。

あるいは、さらにえげつなくなる可能性もあります。前述の通り、去年のテーマもかなり叩かれたはずなのですが、結局今年は輪を掛けて不評なものになったわけですから。

これはほとんどの学生にとって、特に学祭の運営を左右するわけでもない学祭のテーマなんてどうだっていい、ということの現れではないでしょうか。投票数は毎年200弱程度で、1万人を超える学生総数と比べると明らかに少なすぎます。

 

またその一方で、確かにこのテーマを歓迎しているようなユーザーも少数ですがちらほらと見受けられました。

定点観測をしたわけでもなく、少し検索してヒットしたものを眺めただけなので何の証拠もないのですが、歓迎している層は、比較的若い世代、今年度の新入生や受験生に多い印象を受けました。

一見、こういった奇を衒ったものは京大に変な愛着とプライドを持つ層こそもてはやすかとも思えるのですが、むしろまだ所属意識があやふやな新入生や、京都大学に憧れる受験生たちこそ、こうしたネタで「俺らの大学マジキチすぎワロタwww」と盛り上がることで儀式的な一体感を高めているのでしょうか。

 

インターネット特有の表現を現実世界でのコミュニケーションに持ち込むのはかなり気持ち悪いことだと知りながら、それ以外に引き出しがないぼくのようなインターネット人間はしばしばそういうことをしてしまいます。

ぼくは、他にもまともなコミュニケーション手段があるはずの大学新入生のみなさんが、安易なインターネットバズワードで会話するようになってしまうのが悲しくてなりません。

もちろん、おそらくまとめブログ直撃世代であるところの少し下の世代とぼくとの間では、そもそもネット用語を現実で使う事への距離感の違いがあると思います。

しかし少なくともぼくは、現実で人の口から発せられているオタク構文を聞くと、なんとも言えない悲しい気持ちになってしまいます。

ましてやこういう半分公的な場にオタク表現が出てきてしまうことには、かなりの違和感と場違い感を覚えざるを得ません。

ぼくとしては、オタク構文はインターネットのテキストの上だけにしておきたいですね。

 

しかしまあ、過去のテーマの一覧を見てみると、色濃い政治的主張をそのまま掲げていた頃もあり、冷静に眺めたときの空回り感、恥ずかしさというのはいずれも変わっていないようにも思えます。

学祭というある意味究極の内輪イベント、そのテーマにいちいち真面目に怒ったり嘆いたりするのは体力のムダというものかもしれません。

 

 

 

 

ちなみに、ぼくは引きこもりなので学祭を楽しんだことがないのですが、実際のところ学祭は一体何をしてどう楽しむ場なのでしょうか。詳しい人ご教示願います。

 

そりでは、お腹がすいてきたのでこの辺で無限に筆を置こうと思いまつ。

ぽやしみ〜

 

 

参考資料 京大統一テーマ一覧(一部抜粋)

1959(昭和34)年 第1回 戦後派意識の解明
1960(昭和35)年 第2回 独占資本主義社会におけるマゾヒズムサディズムの意識
1961(昭和36)年 第3回 仮眠の季節における僕たちのあいさつ
1962(昭和37)年 第4回 故郷喪失の時代と僕ら
1963(昭和38)年 第5回 噛む時には言葉を考えるな
1964(昭和39)年 第6回 ああ自然死-このナチュラルなもの
1965(昭和40)年 第7回 新しい歴史は僕らの手で せまりくる嵐のなか わだつみの声をのりこえて 真実を求め ともに考え前進しよう 真の学問文化を追求するなかで
1966(昭和41)年 第8回 青年よ その眸で真実を見よ
1967(昭和42)年 第9回 のばそう大学に新しい芽を 築け展がれ人類の知恵 鳴らせ高らかに創造のつのぶえ おしよせる戦火の嵐ふきとばし 進め固めて反戦自由の道
1968(昭和43)年 第10回 思索から連帯へ!終章。 永訣の朝-B52。君たちの祖国70年6月23日 友よ 自己と日本解放の日は近い
1969(昭和44)年 第11回 みずからの手で 新しい大学の創造を 豊かな文化の創造を 京大からの真実の声を そして連帯を 日本の夜明けめざして・・・・・・
2005(平成17)年 第47回 せっかくだから
2006(平成18)年 第48回 溢れる才能の無駄使い
2007(平成19)年 第49回 満喫! モラトリアム。
2008(平成20)年 第50回 単位より大切ななにかを求めて
2009(平成21)年 第51回 失った常識のかわりに
2010(平成22)年 第52回 仕分けできないムダがある
2011(平成23)年 第53回 年に一度の計画発電
2012(平成24)年 第54回 NFって、出席点ありますか?
2013(平成25)年 第55回 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。
2014(平成26)年 第56回 「    」
2015(平成27)年 第57回

「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」

(出典:統一テーマ一覧 — 京都大学