こうしん。過去を振り返るということ。
こんにちは。
このブログではずいぶんと久々の更新になります。
最後の記事を投稿してから早2年。
時のなんと早く過ぎることか。
まずは、なぜ急に、もはや誰しもが忘れたであろうこのブログを更新することにしたのか、そこから書き始めることにします。
先日、ある友人と話していたとき、彼が中高生の頃に連載していたブログの話になりました。
話ついでに、その場で彼とともに彼の中高生時代を克明に転写したブログ(彼は当時大のゲーム好きで、ブログ記事の多くがゲームに関するものでした)を読んでいたのですが、これが非常に面白かったのです。
新作ゲームを買ったときの純粋な感動・喜び、ゲームに対して真摯に評価を与えようとする真剣なまなざし、たまには世相を斬ってみたり、理不尽なことに憤ってみたり、学校のイベントを楽しんだり、批判したり。
自分はその彼と大学生になってから知り合ったため、中高生時代の彼のふるまいはそこではじめて目撃することになったわけですが、そのブログの充実っぷりに、たちまち共感してしまいました。
デジタルガジェットを購入し、googleやブログをたどってそれを散々いじくりまわし、2ちゃんねるで仕入れた知識を語り、ある限られた達成感に酔い、そして何らかの形でその受け売りを発信しようとする……
もし中高生の頃の自分がブログを書き残していたとすれば、彼のブログのようなものになったのかもしれない、という感覚すらありました。
そういったブログを残さなかったことが、悔やまれてなりません。
もちろん見返すと相当恥ずかしいものになっているだろうことは推測できるのですが、しかし、恥ずかしいということはよく考えれば、当時の自分と感性が変わったという証左です。
そんな恥ずかしさも含めてきっと楽しく、懐かしく、そしてもしかすると、忘れていたものの再発見があるのではないかと思うのです。
かくして、2年ぶりに、このブログに帰ってきました。
改めてこのブログの記事を読んでみると、
やはりというべきか、2年前の記事ですら、恥ずかしくなるようなものばかりです。
しかし、それが成長であれ衰退であれ、たしかに自分の一部でありながらもはや自分でないものを目の当たりにするのには、シンプルな面白さがありました。
思えば自分は日記というものをほとんど書いたことがなく、日記をちゃんと付けるみなさんにとっては、この感覚は当たり前なのかもしれません。
その当たり前の感覚をこれからも味わうためにも、時折思い出したようにこのブログに投稿をすることにしました。
ところで、みなさんは「宏鑫」をご存じでしょうか。
京都大学中央キャンパスのすぐ北にあった中華定食屋です。
「こうしん」と読みます。
先月京都に遊びに行ったときに、この店が閉店していたことに気づきました。
代わりにそこにあったのは「味香園」というお店の看板。
壁に貼り付けられたメニューによれば、宏鑫とほぼ変わらない値段で、ほぼ変わらないものを提供しているように見えました。もしかすると、同じお店が名前を変えただけなのかも……とすら思えます。
2年の間に百万遍の店もだいぶ入れ替わったことから、時の移ろいをひとしきり感じた直後にこのしぶとさを見せられて、急に気分が明るくなったことを覚えています。
時の移ろいとともに、変わるもの、変わらないもの、変わったようにみえて変わらないもの。
変化に対するスタンスは、人により、ものにより、状況により様々です。
さらに2年後、この記事を見返したときに、自分が何を感じるのか、思いを馳せつつ、今日はこのあたりで。
それでは。
ちなみに、この記事については、2年どころか1ヶ月くらいで恥ずかしくなってしまうような、そんな気がしてなりません。
しばらくしてこの記事が消えていても、どうかお気になさらず。
参考:味香園(旧:宏鑫)の位置