こうしん。過去を振り返るということ。

こんにちは。

このブログではずいぶんと久々の更新になります。

最後の記事を投稿してから早2年。

時のなんと早く過ぎることか。

 

まずは、なぜ急に、もはや誰しもが忘れたであろうこのブログを更新することにしたのか、そこから書き始めることにします。

 

先日、ある友人と話していたとき、彼が中高生の頃に連載していたブログの話になりました。

話ついでに、その場で彼とともに彼の中高生時代を克明に転写したブログ(彼は当時大のゲーム好きで、ブログ記事の多くがゲームに関するものでした)を読んでいたのですが、これが非常に面白かったのです。

新作ゲームを買ったときの純粋な感動・喜び、ゲームに対して真摯に評価を与えようとする真剣なまなざし、たまには世相を斬ってみたり、理不尽なことに憤ってみたり、学校のイベントを楽しんだり、批判したり。

自分はその彼と大学生になってから知り合ったため、中高生時代の彼のふるまいはそこではじめて目撃することになったわけですが、そのブログの充実っぷりに、たちまち共感してしまいました。

デジタルガジェットを購入し、googleやブログをたどってそれを散々いじくりまわし、2ちゃんねる仕入れた知識を語り、ある限られた達成感に酔い、そして何らかの形でその受け売りを発信しようとする……

もし中高生の頃の自分がブログを書き残していたとすれば、彼のブログのようなものになったのかもしれない、という感覚すらありました。

そういったブログを残さなかったことが、悔やまれてなりません。

もちろん見返すと相当恥ずかしいものになっているだろうことは推測できるのですが、しかし、恥ずかしいということはよく考えれば、当時の自分と感性が変わったという証左です。

そんな恥ずかしさも含めてきっと楽しく、懐かしく、そしてもしかすると、忘れていたものの再発見があるのではないかと思うのです。

 

かくして、2年ぶりに、このブログに帰ってきました。

改めてこのブログの記事を読んでみると、

やはりというべきか、2年前の記事ですら、恥ずかしくなるようなものばかりです。

しかし、それが成長であれ衰退であれ、たしかに自分の一部でありながらもはや自分でないものを目の当たりにするのには、シンプルな面白さがありました。

思えば自分は日記というものをほとんど書いたことがなく、日記をちゃんと付けるみなさんにとっては、この感覚は当たり前なのかもしれません。

その当たり前の感覚をこれからも味わうためにも、時折思い出したようにこのブログに投稿をすることにしました。 

  

 

 

 

 

ところで、みなさんは「宏鑫」をご存じでしょうか。

京都大学中央キャンパスのすぐ北にあった中華定食屋です。

「こうしん」と読みます。

先月京都に遊びに行ったときに、この店が閉店していたことに気づきました。

代わりにそこにあったのは「味香園」というお店の看板。

壁に貼り付けられたメニューによれば、宏鑫とほぼ変わらない値段で、ほぼ変わらないものを提供しているように見えました。もしかすると、同じお店が名前を変えただけなのかも……とすら思えます。

2年の間に百万遍の店もだいぶ入れ替わったことから、時の移ろいをひとしきり感じた直後にこのしぶとさを見せられて、急に気分が明るくなったことを覚えています。

 

 

時の移ろいとともに、変わるもの、変わらないもの、変わったようにみえて変わらないもの。

変化に対するスタンスは、人により、ものにより、状況により様々です。

さらに2年後、この記事を見返したときに、自分が何を感じるのか、思いを馳せつつ、今日はこのあたりで。

それでは。

 

 

ちなみに、この記事については、2年どころか1ヶ月くらいで恥ずかしくなってしまうような、そんな気がしてなりません。

しばらくしてこの記事が消えていても、どうかお気になさらず。

 

 

 

参考:味香園(旧:宏鑫)の位置

【悲報】今年の京都大学の学祭のテーマが限界すぎると話題にwww

こんばんは。

こんなタイトルですがアフィリエイトは一つもついていません。

 

思ったよりすぐの更新になりました。

一晩徹夜して睡眠リズムを無理矢理にでも朝型に戻そうと思ったのですが、予想以上にやることがなくてすぐ眠くなってしまったので、何か書いて気を紛らわすことにしました。

今回の話題は、昨日の昼頃ちょっと話題になっていた京都大学の学祭のテーマです。

 

 

今年のテーマは長いですね。

このブログのタイトルもオタク構文から成っているので、非常に親近感がわきます。

そしてその一方で、周りの空気が読めないオタクが調子に乗ってつけてしまった感じが全面に出ていて、巨大なスクリーンに映った自分の顔を見ているような恥ずかしさがあります。

 

毎年いつの間にか行われている選挙でいつの間にか決まっている学祭のテーマですが、確か去年も一昨年も決まった後でタコ殴りにされていたような気がします。

奇人・変人を気取りたがるのは京都大学の学生にしばしば見られる悲しい傾向だと思うのですが、さすがに今回のこのテーマは京都大学在学中のみなさんにも受け容れがたかったようで、ツイッターでは怨嗟と嘆きの声が多く観測されました。来年はもう少し無難なテーマになるかもしれません。

あるいは、さらにえげつなくなる可能性もあります。前述の通り、去年のテーマもかなり叩かれたはずなのですが、結局今年は輪を掛けて不評なものになったわけですから。

これはほとんどの学生にとって、特に学祭の運営を左右するわけでもない学祭のテーマなんてどうだっていい、ということの現れではないでしょうか。投票数は毎年200弱程度で、1万人を超える学生総数と比べると明らかに少なすぎます。

 

またその一方で、確かにこのテーマを歓迎しているようなユーザーも少数ですがちらほらと見受けられました。

定点観測をしたわけでもなく、少し検索してヒットしたものを眺めただけなので何の証拠もないのですが、歓迎している層は、比較的若い世代、今年度の新入生や受験生に多い印象を受けました。

一見、こういった奇を衒ったものは京大に変な愛着とプライドを持つ層こそもてはやすかとも思えるのですが、むしろまだ所属意識があやふやな新入生や、京都大学に憧れる受験生たちこそ、こうしたネタで「俺らの大学マジキチすぎワロタwww」と盛り上がることで儀式的な一体感を高めているのでしょうか。

 

インターネット特有の表現を現実世界でのコミュニケーションに持ち込むのはかなり気持ち悪いことだと知りながら、それ以外に引き出しがないぼくのようなインターネット人間はしばしばそういうことをしてしまいます。

ぼくは、他にもまともなコミュニケーション手段があるはずの大学新入生のみなさんが、安易なインターネットバズワードで会話するようになってしまうのが悲しくてなりません。

もちろん、おそらくまとめブログ直撃世代であるところの少し下の世代とぼくとの間では、そもそもネット用語を現実で使う事への距離感の違いがあると思います。

しかし少なくともぼくは、現実で人の口から発せられているオタク構文を聞くと、なんとも言えない悲しい気持ちになってしまいます。

ましてやこういう半分公的な場にオタク表現が出てきてしまうことには、かなりの違和感と場違い感を覚えざるを得ません。

ぼくとしては、オタク構文はインターネットのテキストの上だけにしておきたいですね。

 

しかしまあ、過去のテーマの一覧を見てみると、色濃い政治的主張をそのまま掲げていた頃もあり、冷静に眺めたときの空回り感、恥ずかしさというのはいずれも変わっていないようにも思えます。

学祭というある意味究極の内輪イベント、そのテーマにいちいち真面目に怒ったり嘆いたりするのは体力のムダというものかもしれません。

 

 

 

 

ちなみに、ぼくは引きこもりなので学祭を楽しんだことがないのですが、実際のところ学祭は一体何をしてどう楽しむ場なのでしょうか。詳しい人ご教示願います。

 

そりでは、お腹がすいてきたのでこの辺で無限に筆を置こうと思いまつ。

ぽやしみ〜

 

 

参考資料 京大統一テーマ一覧(一部抜粋)

1959(昭和34)年 第1回 戦後派意識の解明
1960(昭和35)年 第2回 独占資本主義社会におけるマゾヒズムサディズムの意識
1961(昭和36)年 第3回 仮眠の季節における僕たちのあいさつ
1962(昭和37)年 第4回 故郷喪失の時代と僕ら
1963(昭和38)年 第5回 噛む時には言葉を考えるな
1964(昭和39)年 第6回 ああ自然死-このナチュラルなもの
1965(昭和40)年 第7回 新しい歴史は僕らの手で せまりくる嵐のなか わだつみの声をのりこえて 真実を求め ともに考え前進しよう 真の学問文化を追求するなかで
1966(昭和41)年 第8回 青年よ その眸で真実を見よ
1967(昭和42)年 第9回 のばそう大学に新しい芽を 築け展がれ人類の知恵 鳴らせ高らかに創造のつのぶえ おしよせる戦火の嵐ふきとばし 進め固めて反戦自由の道
1968(昭和43)年 第10回 思索から連帯へ!終章。 永訣の朝-B52。君たちの祖国70年6月23日 友よ 自己と日本解放の日は近い
1969(昭和44)年 第11回 みずからの手で 新しい大学の創造を 豊かな文化の創造を 京大からの真実の声を そして連帯を 日本の夜明けめざして・・・・・・
2005(平成17)年 第47回 せっかくだから
2006(平成18)年 第48回 溢れる才能の無駄使い
2007(平成19)年 第49回 満喫! モラトリアム。
2008(平成20)年 第50回 単位より大切ななにかを求めて
2009(平成21)年 第51回 失った常識のかわりに
2010(平成22)年 第52回 仕分けできないムダがある
2011(平成23)年 第53回 年に一度の計画発電
2012(平成24)年 第54回 NFって、出席点ありますか?
2013(平成25)年 第55回 京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。
2014(平成26)年 第56回 「    」
2015(平成27)年 第57回

「ばっかお前・・・俺がついてるだろ!」

(出典:統一テーマ一覧 — 京都大学

Xperiaを買いました

お久しぶりです。

前回の更新から二ヶ月弱が過ぎてしまいました。

更新しなかった理由は、特に忙しかったからなどではなく、単純に書くことがなかったからです。

書くことはなかったのですが、今日また「一日分の野菜」を一本飲んでしまったので、久々に更新することにしました。

 

先月は、誕生日があったり四国を旅行してたり公務員試験に落ちてたりとそこそこいろいろありましたが、特にブログに書くようなことはなく、昼過ぎに目覚めて日の出と共に眠る、平穏な日々が過ぎてゆきました。

そんなぼくの普段の平穏な生活は、主にiPadとMacProに支えられています。

寝転がっている時はiPadを、座っているときはMacを見つづけることで、常にインターネットに接続したインターネット人間と化すことができるのです。

インターネット人間と化したところで、それ以外の健常な人々との距離がさらに開くだけで特にメリットはないのですが。

 

そんなデジタル引きこもり生活を支えるデバイスに、このたび新たな仲間が加わりました。

Xperia Z4 tablet です。

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以前からAndroid端末が一台欲しいと思っていたのですが、あまりにもたくさんあってどれが最高のモデルなのか分からず、買うのをためらっていました。

また、スペック厨的なところがあるぼくは、つい「どうせ買うなら最高性能を」となってしまい、処理能力の数値だけ高い使いづらいデバイスを選んでしまうのですが、今回のXperiaWifiモデルが在庫完売するなど相当人気がある様子。

一年前のモデルですが、ぼくが既に持っている二年前のiPad Air 2よりもメモリもCPUクロックも上回っていて、レビューの評判もよく、これならハズレがないだろうと判断して購入しました。

 

 

結果:めっちゃカックカク

 

普通に操作している分にはそこまで問題はないのですが、文字入力はしょっちゅうタップを取り逃してかなりストレスが溜まります。

また、二年前のiPadでは何の問題もなく動く「Hearthstone」を起動してみたところ、起動時間も非常に遅く、動作もときどき固まります。そしてしばらく触っていると非常に熱くなります。

タップの取り逃しに関しては、auショップの店員が貼ってくれた液晶保護ガラスのせいな気もするのですが、処理能力に関しては初期不良かもしれないので、週明けにでもショップに持って行こうと思います。

何となく、これが仕様のような気もしていますが。。。

現在のところ、「買い物に失敗した」という印象です。あーあ。残念。

 

しかし、完全にiPadの下位互換というわけでもありません。

しばらく適当にアプリを入れてみて、2ちゃんねるブラウザの「2chMate」がかなり優秀ということが分かったので、当分Xperiaくんは2ちゃんねる閲覧専用デバイスとして活躍してくれることと思います。もっとも、雑談系の板はここ数年ほとんど見ていないので、もっぱら専門板の閲覧だけになりますが。

アプリケーションの数が豊富なのがAndroidのメリットだと思っているので、何かオススメのアプリがあれば後でこっそり教えて下さい。

付け加えるなら、今回購入したのはauのSIMがささったセルラーモデルなので、外出先でもテザリングではなくシームレスにネット接続できるのはメリットと呼べるかもしれません。

 

さて、ダラダラとXperiaの愚痴について書いてしまいました。

6〜7年前は携帯電話のカタログを読んでいるだけで数時間つぶせるようなガジェットオタクだったのですが、しばらくそっち方向の情報に触れていないとこんな微妙な端末に飛びついてしまうようになります。

情報も鮮度が大事ですね。スーパーの売れ残りパック寿司を食べたときのような気分です。

余談ですが、鮮度がほどほどに落ちたパック寿司の中で一番マズいネタは「タコ」でしょう。

噛むたびにめちゃくちゃ臭くて、とても食べられたものではありません。この間、身を以て学ぶことになりました。

 

それでは今日はこの辺で。

久々の更新が特にオチもないこんな記事でお恥ずかしい限りです。

やはり日常に変化がないと日記すら進みませんね。

次回の更新はもうちょっと近いうちにできると思います。

お休みなさい。

 

夕立について

夏の日のけしきをかへて降る音はあられに似たる夕立の雨

後水尾院

 

今日の15時過ぎ、京都は激しい夕立を迎えました。

ちょうど電車を乗り換えるところだったぼくは、電車とホームの間から容赦なく降り注ぐ雨に肩をぐっしょりと濡らしながら次の電車に乗り込みました。電車がその後地下に潜ったことで夕立の様子はしばらくの間分からなくなり、終点に着いておそるおそる外に出てみると、先ほどの土砂降りが嘘だったかのようにすっかり晴れておりました。

まことに十数分の雨だったようです。

 

冒頭の和歌の話に進みましょう。後水尾上皇のこのシンプルな歌は、あたりの空気を一変させる夕立のありさまが寛永の昔と平成の今とで何ら変わりないことを伺わせます。

寛永年間と変わらずに、本日の夕立も、夏の日を様変わりさせ、霰の当たるような音を立ててぼくが乗る京阪電車の屋根に降り注ぎました。

「ゆふだち」の語は万葉集に遡って確認することができます。千年以上昔の語彙が今もなお通用している——日本語の面白さは、こういったところにもあるのではないでしょうか。

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後水尾上皇wikipediaの画像は1619x1800とやたら大きかったので、Yahoo知恵袋に載っていた出典不明の画像を拝借しました)

 

ところで現在、「夕立」あるいはそれを含む「にわか雨」に代わるものとして急速に台頭してきている言葉に「ゲリラ豪雨」があります。

Yahooリアルタイム検索の結果を見ますと、本日ぼくが遭遇した時間帯に検出されたツイートでは、約1.8倍の開きが確認できます*1。午後七時台に関東であった豪雨の時間帯のツイートではその差はさらに、約3.8倍に広がります*2。 「にわか雨」はあまりにもヒット数が少ないので無視しました。

 

この「ゲリラ豪雨」という言葉は、『新語・流行語大賞』に選ばれた2008年前後から頻繁に用いられるようになった語だそうで、その非常に暴力的な響きがとても印象的です。災害規模に展開する予測不能な集中豪雨に対して、つい使ってしまいたくなる気持ちもよく分かります。

「風流な『夕立』を尊重し、『ゲリラ豪雨』などという下品な新語を廃止するべきだ」などとは申しません。言葉は時代の要請に従って姿を変えるもの。実際に夕方の大雨に迷惑を被っている人々が増えるにつれて、より暴力的な言葉が好まれるようになったという実情がそこにはあるのでしょう。退勤ラッシュを襲ったであろう午後七時の関東圏のツイートにおいて「ゲリラ豪雨」の数が急増していることがその傍証となるのではないでしょうか。

しかしながら、万葉の昔から受け継がれてきた言葉が、現代の価値観が生んだ新語によって徐々に塗りつぶされていく様子には、何か切ないものを感じてしまいますね。

 

記事の初めに挙げた後水尾院は、和歌にとても通じていました。「蜘蛛手」と呼ばれる超人的な技巧を凝らしたパズルのような和歌は、彼の和学への取り組みの熱心さをうかがわせるとともに、紫衣事件徳川幕府にその政治的無力を痛感させられ、全ての力を学芸へと注がざるを得なくなった後水尾院の哀しみをも伝えるのです。

彼と同じく、「夕立」の語もまた、時代の変化の荒波に呑まれて、姿を隠していくのでしょうか。

 

最後に、後水尾院の「蜘蛛手」を紹介してこの記事を終わろうと思います。

それでは本日はこのあたりで。

さようなら。

 

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「蜘蛛手」

引かれた16直線全てが和歌として成立するだけでなく、最大正方形の辺上の格子点を全てつなげて読むと「東照の宮、三十三回忌を弔う歌」というタイトルが出現し、さらに内側格子点に当たる文字はすべて上から下へ読むと「やくしぶつ」になるという技巧が凝らされているそうです。すごいですね。

参考:蜘蛛手の歌 後水尾天皇 : 人生の午後…まっ、ゆるりと 

 

 

*1:7/14 15:00〜15:30期間 「夕立」が1468件に対して「ゲリラ豪雨」が2612件

*2:7/14 18:45〜19:15期間 「夕立」が1321件に対して「ゲリラ豪雨」が4944件

二ヶ月分の野菜

突然ですが、現在、我が家には「一日分の野菜」が四十八日分あります。

少し前からはじめた「アマゾン定期お得便」で送られてきたものです。

指定された期日になると自動的に商品を注文し、届けてくれるとても*1お得なサービスです。

全く自炊ができないぼくはどうしても野菜が不足しがちになるので、これは便利と思い契約しました。

 

アマゾン様によると一ヶ月の消費量は二十四本と計算されるらしく、写真に写っているのは二ヶ月分となります。

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(二ヶ月分の野菜。とても健康になれそう)

 

初めの三日ほどは毎日一本継続して飲めていたのですが、日が経つにつれてだんだん飽きてきて、いつのまにかこんなに余らせてしまいました。

こういう濃い野菜ジュースはややドロッとしていて、のどを潤すために飲むという訳にもいかず、なかなか消費が進まないのです。ぼくは以前、これより更に濃いデルモンテの1Lのボトルを十二本買って、結局半分ほど賞味期限内に飲みきれなかった思い出があります。

だというのに、すっかりそんな反省も忘れて、「お得」の文字に釣られて利用開始してしまいました。そのうえ、解除するのは何となく自らすすんで健康を損なってる気がして、こんなに溜まってもなお配送は停止させていません。これでは自らの安心のためだけに薬効不明な漢方薬やコラーゲンを買い続ける高齢者と何ら変わりませんね。困ったものです。

 

さて、特にたいした理由も無くはじめて、何とか三日間だけ毎日続けられたものの、早くも間隔が開き始める……。「一日分の野菜」が過剰になった経緯は、まるでこのブログとそっくりですね。

部屋に転がった段ボールにつまづいた拍子に、ふとそんなことを考えたので今日のテーマはこれになりました。

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過剰といえば、この包装がまた過剰ですね。上の写真は届いた段ボールを開けた直後の写真です。

このスカスカなのは、いわゆるコンテナリゼーションというやつですね。最外部を覆う箱が同サイズで規格化されているからこそ、効率を追求した搬送ができるというものです。

もちろん運ぶ側の理屈は分かります。分かりますが、部屋が狭いぼくのような下宿生からすると、かなりのゴミとなります。そして面倒がって畳まずに部屋に適当に置いておくと、今日のようにつまづく羽目になるのです。

その結果ブログに書く内容が生まれたので、悪いことばかりでもないかも知れませんが。

 

さて、以降のこのブログに関しては、在庫の「一日分の野菜」が一本減るたびにブログの記事が一件増えるような、そんな頻度で更新できればと思っております。当初の予定だった「毎日一回更新」は、どう考えても不可能だと気づけました。

更新を心待ちにされるようなタイプのブログでもないと思うので、その点は気も楽です。

 

それと、前回のハルヒの記事が少し拡散されて、ひさびさに情報が自分の手の届かないところで広がっていく感覚を味わうことができました。ありがとうございます。

ハルヒの記事から来られた方、こんなしょうもない記事で申し訳ございません。

基本的にぼくは懐古厨なので、またそのうち中高生の頃見てたアニメの話をする時もあると思います。それまでいましばらくお待ち下さい。

 

それでは今日はこの辺で。

おやすみなさい。

 

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涼宮ハルヒの思い出

今晩九時頃、晩ご飯から帰ってきてだらだらとツイッターを見ていると、ニコニコ生放送で「涼宮ハルヒの憂鬱」を一挙放送中との情報が流れてきました。何たること。全く知らなかった。

ぼくはすぐさまタイムシフトを開始し、今日日記を書くはずだった時間は全部これを見る時間になってしまいました。

ということで今日は開設三日目にして早くもお休み——となる予定だったのですが、ここで休むとこのままブログをやめてしまいそうな気がしたので、隣のウィンドウで流しっぱなしになっている「ハルヒ」について書くことにします。いよいよオタクらしいブログになってきました。

 

今日の日記はニコニコ生放送を見ながら書くので、相当まとまりのないものになると思いますがご了承下さい。

タイムシフトを見たい方はこちらにリンクを貼っておきます。

とはいえ、「ハルヒ」の内容やその面白さについて今更ぼくが語ることもないでしょうし、ぼく個人のこのアニメの思い出について何かしら書こうと思います。

これだけ高名なアニメだと、内容について浅いことを書くとをすぐさま怖い人に怒られるような気がするので、黙っておきましょう。

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(上:怖い人におびえるぼく)

 

 さて、ぼくがこのアニメを初めて見たのは中学一年生のころでした。

それまでほとんどアニメに接してこなかったぼくは、このアニメにどっぷりとはまり、親に隠れてこっそりと深夜に視聴していました。

布団の中で当時のケータイ・W33SAQVGAの小さな画面を光らせ、食い入るように見つめていたことをよく覚えています。

こうして「ハルヒ」に完全にドはまりしたぼくは、当時のオタクのメインストリームに乗ってその後の「らき☆すた」や「リリカルなのは StrikerS」「ひぐらしのなく頃に 解」などを次々と消化していき、見事に気持ち悪いアニメオタク中学生と化してしまいました。

このように「ハルヒ」は、ぼくのオタクとしての第一歩を後押しした作品だったのです。

 

ぼくは一つの作品にハマるとキャラクターソングやボイスドラマなどの公式コンテンツを全て消費したくなるタイプのオタクなのですが、この傾向も「ハルヒ」から始まったと言えるでしょう。今でもiTunesに「キャラクターソング」と入れるとこれらがズラッと出てくるのが壮観で好きです。

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この中で特に好きなのは朝倉さんのCOOL EDITIONと喜緑さんのfixed mindです。オタクくさいチョイスですね。

どのCDにもED曲「ハレ晴レユカイ」の歌詞をそのキャラクター風に改変した歌が収録されているのですが、どれも無理矢理感があってこれはあまり好きではなかったです。曲名が全て「ハレ晴レユカイ」なので元曲と紛らわしいというのもあります。

 

もう一つ、この作品はぼくのオタク的消費傾向に大きな影響を与えました。

それはアニメ本編というより、大量に生産された二次創作SSによるものです。

ご存じのように、ライトノベル涼宮ハルヒの憂鬱」の作者・谷川流は「涼宮ハルヒの分裂」以降数年沈黙し、その後編にあたる「驚愕」以来ぷっつりと筆が途絶えてしまいます。

その理由についてネットではさまざまな説が囁かれていましたが、その説の一つに「予定していたシナリオをネットのSSに先取りされたからだ」というものがありました。

もちろんほとんどあり得ないとは思うのですが、少しだけその説に信憑性を感じてしまうほどに、その当時のハルヒSSは大量に生まれていたのです。

当時のオタクたちのSSの発表場所はニュー速VIP板。ケータイを手にした新たなネットユーザーたちを幅広く吸い込んだこの板は、ゼロ年代後期の2ちゃんねる最大アクセスを誇るオタクたちの交流会場であると同時に、創作意欲にあふれたさまざまなオタクたちが作品を投下していく場所でもありました。

そこには、ナンセンスなものやギャグ、山もオチもないもの、エロだけのものも数多くありましたが、真剣に原作の未回収の謎に取り組んだ作品も多くありました。

ぼくはなかなか刊行されない原作の続編を待ちわびながら、その代わりを求めてVIPの「プリンスレ」*1に辿り着き、むさぼるようにして二次創作SSを消化していきました。

 

ここで生まれた傑作を一つ紹介します。

涼宮ハルヒのSS in VIP@Wiki - 涼宮ハルヒの微笑

これは第九作「涼宮ハルヒの分裂」の少し前に書かれたSSですが、八作目までで未回収だった原作の伏線のほとんどを独自解釈で無理なく回収しながら、シリーズのまとめにふさわしいオチまで持っていくという離れ業を成し遂げています。その文章の質と完成度からあまりにも有名になり、後に作者を騙る別人まで出現するほどでした。未読の方はぜひ読んでみてください。

有志によるボイスドラマ企画もありますが、こちらは未完成のまま数年放置という、この手の企画にありがちな結果に終わっています。残念ですね。

 

こういった作品を消化するなかで、ぼくのオタクコンテンツ消費の中でネットのSSは欠かせないものになりました。

ハルヒ」以降、ひぐらしでも、なのはでも、東方でも、メジャーと言われているジャンルでは大量のSSが投下される場所がありました。ぼくはそういったところの作品を読みあさりましたが、こういった行動を取るようになったきっかけもまた、「ハルヒ」だったと思います。

 

本当にダラダラと語ってしまいました。要は「ぼくのオタクはハルヒから始まったんだよなあ……」というお話です。それだけに3000文字近く使ってしまいました。深夜って怖いですね。

そろそろ隣で再生している一期最終話*2サムデイ イン ザ レイン」も終わろうとしているので、この日記もこのあたりで切り上げようと思います。

今年の終盤にハルヒ一期のリマスター版ブルーレイBOXが出るようですが、これは三期制作への布石なのでしょうか。今回一気見してしまったのでブルーレイBOXは買わないとは思いますが、三期が放映されればほぼ確実に見るでしょう。期待です。

深夜のオタクの自己反省などという時間の無駄に、ここまでつきあっていただきありがとうございました。

キャラクターについて語ったらキモいかなと思って思い出について書いていたのですが、アニメを見ながら書いていると予想以上に長くなり、逆にこっちの自分語りの方が気持ち悪かったですね。

ニュー速VIPの話も出たことですし、最後はVIP風に締めようと思います。

くっ早とちりをしてしまったようでござるな

失敬!ドヒューン

—— 2012年にVIPに現れた古風なオタク

 

*1:ハルヒSS総合スレの名前。由来は『ハルヒ「ちょっとキョン!あたしのプリン食べたでしょ!?」』というお決まりのスレタイから

*2:作中時系列に並べた場合の最終話ですね。このへんややこしいのでどうしても気になる方はwikipediaでも見て下さい

奈良にうまいもんなし

食ひものはうまい物のない所だ。

—— 志賀直哉『奈良』(「志賀直哉全集 第六巻」収録)

 

よく聞かれるフレーズ「奈良にうまいもんなし」は志賀直哉のこの文章に由来すると言われています。彼は奈良市高畑町に自らの設計による邸宅を建て、長い間居住していました。厳しい一言で始まるこの文章ですが、実は奈良県が発行した観光振興目的の雑誌に寄稿したものだったそうです。そう聞くとこの書き出しに一瞬ぎょっとしますが、さすがは文豪、読むうちに彼の奈良に対する愛情・こだわりがじわじわと伝わってくる随筆となっています。

 

奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居

高畑には今もなお志賀直哉旧邸が残っていて、常時一般公開されています。彼の代表作、「暗夜行路」はここで書かれました。かなり昔に見に行ってみたことがありますが、洋風の食堂と数寄屋造の書斎が何の違和感もなくなめらかに一体となっていて、美しい建築でした。芝生に石製の椅子が置かれた西洋風の庭が、記憶にはっきり残っています。

桂離宮をイメージして建てられたそうですが、ぼくは桂離宮に行ったことがないので比較できないのが残念です。志賀直哉のお財布がとても豊かだったということはよく分かりますね。

 

志賀直哉はその炎上ブログのような書き出しのあとでさらりとフォローをしてくれていますが、奈良県民の立場から正直に言っても、奈良には特に目立った郷土料理がほとんどありません。一応「茶粥」という、ほうじ茶で炊いたお粥があるのですが、これはまあほうじ茶と米があれば誰でも思いつくようなものです。皆さんの想像の範疇を全く出ない、「まあ、そうなるわな」という味がします。どんな料理とも大して取り合わせがよくないので、夏バテのときに梅干しでも載せて食べるのがよいと思います。その程度です。あと奈良だし奈良漬けかな(適当)

 

数年前、ミシュランガイドにたくさんレストランが載ったということで「奈良にうまいものあり!」などと少し盛り上がっていましたが、それ以降は毎年コンスタントに掲載される数を減らされている模様です。ぼくは最新版のミシュランガイドに載っているお店に一つも行ったことがないので、何も語ることができません。残念。

そもそもミシュランガイドに載っているようなお店で出されるお料理は「奈良のうまいもの」と呼んでよいのでしょうか。「そのお店のうまいもの」と呼ぶべきではないでしょうか。そこも気になりますね。

 

貶してばっかりで終えるのも何だったので、一つ奈良名物を紹介しておきます。

ご存じの方も多いでしょうが、柿の葉寿司です。

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数少ない「奈良のうまいもの」ではないでしょうか。

中でもぼくはこの「たなか」の柿の葉寿司が一番好きです。

平宗やヤマトのものよりあっさりしていて、飽きが来ない味です。また、柿の葉寿司の基本ネタである鯖が一番美味しいのがここだと思います。

手広く展開していてわりとどこでも買えるので、奈良に来た際はぜひお立ち寄りください。

柿の葉すし本舗 たなか

 

それでは今日はこの辺で。